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野沢温泉の足湯
野沢温泉の足湯は、大湯(おおゆ)の前に足湯が設置されていたり、7軒の旅館の玄関先にも設置されています。 どなたでもご利用できますので、野沢温泉で足湯めぐりもやってみては、いかがでしょうか。
温泉や家庭のお風呂は、体を湯に浸けると水圧がかり、心臓や肺へ負担がかかります。
よく、足湯や半身浴がいいと言われるのは、内臓への負担が少なくて、長時間湯に浸かっていられるからなのです。
熱い湯にパッと入って、サッと出るより、温めの湯にゆったり浸かってた方が体の芯からあたたまります。
足湯の場合は、半身浴よりもさらに長く楽な姿勢で入浴できると言えます。
しかも、足をまくっただけで手軽に入ることができます。
足湯の効能は、熱い湯に浸かると血管が拡張して、血流が盛んになります。
そうすると筋肉にたまった乳酸という疲労物質を早く体外に輩出させ、代謝機能を高める働きがあります。冷え性や足のむくみ、頭がキンキンするような片頭痛の方におすすめです。
野沢温泉の麻釜(おがま)
野沢温泉に行った際は、ぜひ麻釜を見に行ってください。
この野沢温泉の麻釜は、野沢温泉にある30余りの源泉の一つで、100度近い熱湯をこんこんと湧出しています。
大釜・丸釜・ゆで釜・竹のし釜・下釜の大きな湯だまりをなしている麻釜は、野沢温泉の奇勝の一つです。
麻釜という名は、かつて伐り取った麻(あさ・お)をこの湯だまりにひたし、後で皮をむいたことから呼ばれるようになりました。
現在は麻より特産のあけびづる細工に用いるあけびづるを釜にひたす光景が見かけられます。こうするとあの堅い皮もするりとむけるから不思議です。昔の人の生活の知恵ですね。
また、麻釜は野沢温泉の台所とも称されます。それは日常から地元の人々がここで山菜や野菜をゆで、野沢菜を洗うなどして利用され、定期的に交代で掃除や管理を行っていることからもお解かりいただけると思います。温泉がここまで生活と密着して利用されているのは世界的にも珍しいことのようです。
野沢温泉のご紹介
野沢温泉ってみなさん、どのくらいご存知ですか?
野沢温泉に行ったことがある方なら場所などご存知でしょうが、行ったことがない方でも「野沢菜」なら聞いたことがあるかと思います。
野沢温泉を知らない方に説明すると、野沢温泉のある野沢温泉村は、長野県の北部に位置し、南側は毛無山の尾根を境に木島平村に接し、西側は千曲川を隔てて飯山市と境をなしています。また、北側及び東側は高倉山の尾根境から毛無山東斜面にかけて栄村と接しており、海抜高度差は、村北部の明石(300m)から、毛無山(1,650m)に及び山谷形で起伏が多い地形となっています。
村の総面積は57.95km2、東西9.1km、南北11.5km、周囲38.2kmとなっており、村土はその50.7%を山林が占め(平成8年県統計書)、景観の良さなどから上信越高原国立公園に指定されており、それらの一部を含む297haが現在スキー場区域となっています。
地形は東に三国山脈の傍系としてそびえる毛無山(1,650m)を頂点として、西に流れる千曲川に傾斜し、村内に流れる一級河川の赤滝川、湯沢川、池の沢川はいずれも毛無山に源を発して千曲川に注いでいます。
野沢温泉は、温泉以外にも
・スキー
・野沢菜
・道祖神
・はと車
の村としても有名です。
・スキー
我が国のスキー歴を振り返ると、明治44年1月12日、オーストリアの武官テオドール・フォン・レルヒ少佐が新潟県高田で本格的スキー術を教えたのがはじまりと言われます。そして野沢温泉にはじめてスキーが入ってきたのは、その翌年・明治45年です。
昭和5年には、アールベルグスキー術を日本に伝えたハンネス・シュナイダーがこの地で弾丸のように滑降、あざやかな180度のジャンプターンを見せてくれました。以来野沢温泉スキー場は、常に日本のスキー史とともに歩んでいます。今日まで、インタースキーやオリンピック、パラリンピックなど各種スキーイベントを開催、この小さな村から14人ものオリンピック選手が生まれました。
・野沢菜
野沢菜はその名が示すとおり、ここ野沢温泉が本場、発祥の地です。
宝歴6年(1756年)に健命寺八代住職晃天園瑞大和尚が京へ遊学の折、天王寺蕪の種を持ち帰り蒔いたところ、葉柄・茎丈が大きく成長。野沢温泉の気候や地味によって変化してできたのが野沢菜の発祥と伝えられています。
その昔、野沢温泉村の人々の冬の生活は、雪片付けやつる細工などをして冬を過ごしていましたが、こたつにあたりお葉漬け(野沢菜漬)をお茶うけにおしゃべりするのが楽しみだったようです。
野沢菜が有名になったのは、湯治客やスキー客によって知られるようになったのです。そして、今年は野沢菜発祥250年を迎えました。
・温泉
野沢温泉の湯を発見したのは、聖武天皇の頃(724~748年)にこの地を訪れた僧「行基」であるという説、また修行中の山伏が見つけたという説と手負の熊の後をつけた猟師が見つけたという説があります。
江戸時代に飯山藩主の松平氏が惣湯(大湯)に別荘を建て、一般の人々にも湯治を許可した後、多くの人々が湯治という形でこの山里を訪れるようになったと言われています。
また、温泉は入浴するためだけではなく、麻、竹、蔓などを浸して加工し工芸品を作ったり、山菜や野菜を茹でたり洗ったり。最近では、温泉を熱交換し道路の融雪に利用したりと、温泉は、村民の生活に大きく関わっています。
・道祖神
道祖神は、ほぼ全国に広く祀られている民間信仰の神で、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀っています。
また、子供の成長や子宝祈願、良縁祈願などの対象でもあります。
毎年小正月(1月15日)に行われる野沢温泉の道祖神祭りは、火をめぐる攻防戦が壮大な規模で行われることで知られているが、いつ始まったかは定かでなく江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたようです。
豪壮な社殿造り、華麗な初灯籠、清楚で可憐な木造道祖神作製など行事内容は、以前の様式のまま執り行ない、競技的・美的・全村一致の協力の信仰的要素は近郷にない卓越した民俗行事であり、日本を代表する道祖神行事の一つとして国の重要無形民俗文化財に指定されています。
・はと車
はと車は、あけび蔓(つる)細工による郷土玩具です。
アケビ細工は江戸時代末期の天保時代には考案されていたと言われており、当村においても天保時代、池田善右衛門という村人が旅人から蔓の細工を教わり、簡単な玩具や籠を作って温泉小屋の付近で販売していたと伝えられていますが、当時はまだ量産できる状態ではなかったようです。
その後、弘化2年河野安信氏が「にぎりかんな」を考案して蔓の厚みを揃えることに成功し、さらに河野藤七氏が「蔓裂き機」を発明したことにより、村内につる細工が普及したようです。その後、スキー産業が盛んになるにつれ、衰退していきましたが、今でも、はと車や籠製品など伝統工芸として受け継がれています。

